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近なSF①

講義「ゲームをデザインする」

講師 築瀬洋平先生

面白いことが好きではあるが、振り返ってみると我ながらノット・サイエンスフィクションな生活を送っていると自覚している。

SF的という表現を自分が好きなマンガや映画で行うことができる疑似体験的な感覚として、日常の中で見つけたSF的体験を述べようと思う。

 

1.電車

毎日電車に乗って学校に来る。

電車は車輪で動いているが、もしも窓ガラスに映る風景が見えなかったら空間が移動しているんじゃないかと思うことがある。ドアを開けて部屋に入り、15分後部屋を出るとまったく知らないところにいたというようなトリップ感をひそかに毎日感じている。初めて会ったであろう人々が同じ空間のなかにいて目的地に向かってまったく互いに交流もせずに移動するのがどこかシュールにも思える。

 

2.中華街

先日中華街に足を運んできた。本場中国の方々が経営する中華料理屋さんがたくさんある町というのは知っていたが、いざ入ってみるとなかなか不思議な空間だったと思う。

右を見ても左を見ても上を見ても中国風の風景で中国にいるように錯覚し、かと思えばにぎわう日本人のお客さんを見て観光地であることを再認識する。中華料理屋さんや、中国人の人は珍しいとは思わないが町の一角を形成しているスケールだと本当に異世界に迷い込んだ様だった。中華街のゲートをでるとふっと元の横浜に戻るあの感覚も、

まるで宮崎駿監督のアニメ映画作品「千と千尋の神隠し」の世界を体験したような気持ちになった。

 

3.動物園

これも中華街と同じような理由なのだが、動物がたくさん暮らしている場所に行くというのもなかなか非日常的だと思う。

動物は毎日毎日見られてどんな気持ちなのだろうか。もしも人間が見られる側の存在になったら,,,自分の生活を覗かれるのはあまり気が進まないが、しっかりとした施設、ご飯があったらそのうち慣れてくるのかもしれない。

人間がいなくなったら、たとえば夜の動物園はどのようになっているのだろう。寝ているのか、それとも動物しかいないコミュニティーとして、まだ人間が目にしたことのない世界がそこでは毎晩繰り広げられているのかもしれないと思うと、夜の動物園に行ってみたくもなり、やっぱり行ってはいけないような気もしてくる。

 

(三木星悟)

 

 

 

近なSF②

 

 自分の身近にあるSFについて、自分は近年よく話題にあがる「拡張現実AR」を例に挙げて考えてみた。

 

 「拡張現実(かくちょうげんじつ 英:Augmented Reality)とは、拡張現実はバーチャルリアリティ(VR)ののようなものであり、その時周囲を取り巻く現実環境に情報を付加・削除・強調・減衰させ、人間から見た現実世界を拡張するものを指す。人工的に構築された現実感と現実を差し替えるのものがバーチャルリアリティであるが、それに対し拡張現実はあくまで現実の一部を改変する技術のことである。

 

 文字にしてみればすこし難しいかもしれないが、簡単に言うと「現実の世界とCGを重ね合わせ、現実世界にはありえないような効果を付加させる映像技術」である。

 

 調べてみると自分たちの身近にもこの技術は応用されている。具体例としてはショッピングモールの洋服店の試着鏡である。この鏡にはこのAR技術が応用されており、この鏡の前に立つだけで実際の商品を映像上で試着できたり、服だけではなく自分の顔や体を歪ませたり色を変えたりと様々な特殊効果で遊ぶことができる。他にもカーナビ等が挙げられる。カーナビにカメラを通して実際(現実世界)の映像が映し出され、そこに位置情報等のデータを視覚的に重ね合わせ、従来のカーナビよりより直感的にナビを見ることが可能になる。スマフォのカメラで録った画像や映像にスタンプや文字を付けるというのもある種このAR技術と言えるかもしれない。他にも探せばまだまだ自分たちの身近にこの技術は応用されていると思う。現実世界を実際にはありえないものと合成し、「拡張」=「創造」するといった、とても夢が広がる技術である。しかし、自分の認知の限界を超えるだけに、それこそ現実と日現実との区別がつかなくなるといった問題が発生しやすくなる可能性もあるだけに、安易に濫用していくのも危険であると思った。

 

(井上岳丸)

 

参考:wikipedia「拡張現実」(http://ja.wikipedia.org/wiki/拡張現実)

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